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サッカーと人種差別

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「試合が進むと、僕がボールに触る度にラツィオのファンが猿の鳴き真似をしてくると気づいた。『彼らはなんでそんなことしているんだ?俺が黒人だからか?世界中の黒人にとって当たり前のことではないよな?』私は自問自答したのを今でも覚えている。」

 

これはいまや世界最高のCBの一人に成長したナポリカリドゥ・クリバリの言葉の抜粋だ。彼は2016年の2月3日のラツィオ戦で、ラツィオサポーターから人種差別チャントを受けた。主審はそのチャントを聞き試合を中断したが、結局試合再開後にも差別的なチャントは収まらなかった。

 

現在、サッカー界には人種差別が横行している。「相手チームの選手」という立場が、サポーターを簡単に過激化させてしまうのだ。政治的な要素は排除されるべきサッカー界で、人種差別という人類の政治的争いの負の遺産が蔓延するという皮肉が頻繁に見られる。今日はサッカー界、とりわけイタリアサッカー界の人種差別について掘り下げていきたいと思う。

 

①人種差別とは?

 

人種差別とはそもそもなんなのか?ブリタニカ百科事典の言葉を引用すると、

人種の相違を理由に加えられる,政治・経済・社会的差別。

ではそもそも差別とはなんなのか?これまたブリタニカの言葉を引用すると、  

特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為をさす。

 

ここで気になるワードがある。「正当な理由もなく」だ。「正当な」という部分は人々によって解釈が異なる部分だ。その解釈の差異が加害者と被害者の認識のズレを生じさせるのだ。最初のクリバリの例でいうと、ただクリバリはサッカーという彼の仕事を行っていただけなのに嫌がらせを受けた。加害者側にどんな事情があったとしても、そこに「正当な理由」がないのは明らかだ。

 

②サッカー界における人種差別

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サッカー界には人種差別が横行している。「相手チームの選手だから」という正当に見せかけた理由で行動がエスカレートしていく。フーリガンを追い出し、スタジアム内の環境が良いとされるプレミアリーグでさえ、昨年スターリングがピッチ内で差別を受けた。

 

さらに今年はズマ・ポグバがSNS上で差別を受けた 。SNS上ではその匿名性からか人種差別的な言動が日常茶飯事である。特にこの場合は自チームの選手に対しての差別である。本来応援すべき選手なはずなのだが。

 

サッカーが生活に根ざしている地域にとって、サッカーは鬱憤を晴らす媒体なのである。日頃の溜まった不満も、贔屓クラブが勝てばすぐに消え去り、幸せな1週間を過ごせる。しかし、贔屓クラブが勝てなければこれまた鬱屈した1週間を過ごす。そのため、自チームの黒人選手が失敗したり、相手チームの黒人選手が活躍したりするとその不満をぶつけるのだ。「PKに失敗したから」「愛するクラブが有色人種に点を決められたから」。彼らは彼らなりに理由をつけるが、それは「正当な理由」ではないはずだ。あっていいはずがない。

 

 

③イタリアサッカー界における人種差別

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イタリアサッカー界は特に人種差別が蔓延している。9月1日にカリアリファンがルカクに人種差別的なチャントをしたのは記憶に新しいだらう。これは上記の理由以外にもイタリアならではの理由もある。

 

近年、イタリアは地中海に面していることもあり、大量の移民流入している。そんな中イタリアの経済は低迷し、失業率は2ケタを超えている。そんな状況の中で「イタリア人」の職が奪われているとして、他民族である移民や外国人労働者への風当たりが強くなっている。反移民を掲げる政党「Lega Nord」に根強い人気があるのがその証拠だ。

 

イタリアは長年バラバラだったこともあり、南北問題を始めとして地域差別が根強い国だ。そんなところに新たな「移民・外国人」というカテゴリーが加われば、「イタリア人」の憎悪がそちらに向くのは容易に想像できるだろう。

 

 

④アクション

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「今は2019年だ。しかし前進ではなく後退している。サッカー選手として、団結する必要があり、試合をクリーンにして皆にとって楽しいものであり続けるためにこの問題に声を上げ続ける必要がある。」ロメル・ルカク

 

「私はこの問題への答えはわからない。ただできることは自分の話を伝えていくことだけだ。」〜カリドゥ・クリバリ〜

 

これらは実際に人種差別を受けた選手達の言葉である。共通していることは、被害者が発信し続けることだ。

 

人種差別の加害者は、それを差別と認識せずにやっている場合も多く見受けられる。彼らだって「人種差別は良くないこと」ということくらいわかっているのだ。そのため彼らは決まって「俺には正当な理由があるんだ」とか「これが差別に当てはまるとは思わなかった」と言い張る場合が多い。そのような無意識的な加害者には、被害者の語る経験談に触れることが、相手側の心理を再確認でき、自分の行動を見つめ直すいいきっかけとなるだろう。

 

 

⑤最後に

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普段、我々日本人は人種差別という問題は身近には感じないかもしれない。しかし日本人も差別的な言動をされたりしたりしてきたのである。広く蔓延する海外サッカーを巡る人種差別の問題は、忘れかけてた人類の負の歴史を思い出させるのだ。

 

 

クリバリはラツィオ戦後のエピソードを語った。

 

「試合後、私は大事なことを思い出した。試合前に一人の少年が私のユニフォームを求めていたのだった。私はスタンドにいる彼を見つけ、シャツをあげた。そしたら彼がなんて言ったと思うかい?『君に起こったことは申し訳ない』これが子供の精神だ。これがちょうど今世界が失っているものなんだ。」

 

差別的な思想を持って生まれてきた子供はこの世にいない。最初は皆友達として遊びあったのだ。

 

そして最後にこう言った。

“Maybe we are different, yes.  But we are all brothers.”

 

引用元

https://www.theplayerstribune.com/global/articles/kalidou-koulibaly-napoli-we-are-all-brothers