こんにちは!カルロウです!
白熱の2023-24シーズンも半分が経過し、冬の王者も決まりました。
しかし、今になって思い出しました。
昨季の最終節にガスペリーニが退席処分になったの忘れてた!
ということで半年以上原稿が放置されていたのですが、それを公開しようと思います。
カルチョに関するあれこれはまた追々扱うと思いますので、今回はいつもと違うただの僕の思いを羅列するだけのブログです。良かったらぜひご覧ください。
前提として、今回のブログは「個人の感想や体験談」を述べているものであり、これが正しいカルチョとの向き合い方だというつもりは毛頭ございません。
私は昨季、ファンカルという組織に入って定期的にセリエAの魅力を伝える活動をしていました。
ただ一つ言っておかなければいけないことがあります…
多分、私はサッカーが大好きではありません。
ちょっと語弊がある言い方ですが、間違いではありません。
私は競技としてのサッカーが大好きではないのです。
もちろん嫌いではないですし楽しんではおりますが、何か大事な試合ではない限り2時間も割いてピッチ内で起こっていることを楽しめるほど好きではないのかもしれません。(もちろんその面白さがあることも理解はしていますが)。
しかし大学時代は、サッカーが好きでした。
リアタイ視聴をするかはともかく基本毎節試合は見ており、フルで見てない試合もハイライトでゴールシーンも確認していました。私にとってサッカーは趣味を超えたものであり、カルチョは生活とは切っても切り離せないもの。
だと思っていました。
しかし、2022年の春に社会人になると状況が一変します。
試合を見る気が一気に起きなくなるのです。平日は帰って寝るだけの生活。
週末は昼近くまで寝た後に短い貴重な休日のうち2時間をサッカー観戦に充てるかというとそのような気力が残っていませんでした。
正直、昨季フルでリアタイ視聴したのは片手で数えられるほど。見逃し配信でたまに休日に1試合見るかどうかでした。
しかし、実生活が苦しかった時に心の支えになったのがカルチョでした…
というわけでもありません。
私は不器用かつひねくれ者で仕事にて怒られる機会も人より多かったのですが、そんな時にはなおさらサッカーを見る気力が起きませんでした。
だからといってカルチョが見れないことに苛立ちを感じることも全くありません。
私の生活の一部だったカルチョが、生活からも切り離されそうになりました。
しかし、だからこそカルチョの魅力に気づくことができました。
実は、試合は全然見ていなくても情報は最低限追っていたのです。
このようにさせてくれたスポーツは初めてでした。
私はサッカー以外にもJリーグ・プロ野球・MLB・NBA・卓球などわりと多くのスポーツを見るのですが、それらは一過性のブームのようにハマる時期はあってもすぐに過ぎ去り、そしてまた復活し、を繰り返します。
ただカルチョだけは完全には切り離されず、どんな時でも情報は追い、気になった試合はフルで見てみたりハイライトを追ったりとしていました。
なぜカルチョだけはそうさせてくれたのでしょうか…?
それはカルチョが「惰性」で見るのに適しているからです。
脂っこすぎず、あっさりもしすぎていない。その両面性がカルチョの魅力なのかもしれません。
もう少しちゃんと説明しましょう。
私が情報だけは追えていた理由に「適度なカロリー」と「事件性」があります。
適度なカロリーに関しては、頻度と情報量にあります。
サッカーは試合数が多くはありません。多くても週1回程度であり、アメリカのメジャースポーツ等と比較しても多くはなく、だからといって少なすぎる訳でもなく、週1~2試合という、週単位で動く社会人の生活リズムに合いやすいスケジュール感で進みます。
また、情報量に関してはセリエAは人気が低迷を続けているとはいえ、世界の主要リーグであり、ニュース自体は毎日のように日本語・イタリア語・英語で流れてきます。触れる機会はいくらでもあるのです。
とはいえ、(特に私の場合)情報が多すぎても良いっていうわけではありません。
「情報を追えていない感覚」に陥ると、興味を失いかねません。その中で情報発信者の少ないカルチョは、その数少ない情報発信者の情報を追っているだけで、熱心に試合を見ている他のカルチョファンと同程度の情報量をすぐに得ることができます。(もちろん、自分なりに解釈をして答えを探すような楽しみ方はできないですが)
それだけでしたら別にどんなサッカーでもよいのですが、カルチョには「事件性」があります。
日本人や国際社会からしても考えられないようなハプニングや出来事が良くも悪くも起こります。今はビジネスとしての側面がかなり強くなった欧州サッカー界から一部取り残されてしまったことが、普段ビジネスに多少はかかわるものとして、ある種「逃避」の機能として作用したのです。
ダヴィデ・ニコラを解任した2日後に呼び戻すなんて、多分ラテンの国でしか起こりえないことでしょう。
それに加え、
えげつない発煙筒、入れ墨だらけの上裸のおっさん達、よくみたら相手選手に中指を立てている若者達…
(到底褒められたものではありませんが)このような要素も「逃避」としての機能を強める要素があったのだと思います。このような競技外のハプニングやカルチョの雰囲気が作り出す非日常感が、惰性で追っていても飽きることがなかった理由の一つだったのだと思います。
そんなことはともかく、昨季のカルチョは大いに盛り上がりました。
イタリア勢の躍進や、白熱の欧州カップ戦争いや残留争い。
そんな私も、シーズンが佳境になるにつれて、サッカー熱は自然と高まっていきます。
見る試合数やリアルタイムでの視聴回数が増えていきました。
そこでもカルチョの良さが出てきます。
見たら見たで熱いのがカルチョです。
変人でヲタク気質なセリエヲタクさんの熱い思いや緻密な戦術分析を見たりすることもできます。
特に、カルチョは金の匂いがしなさすぎるがゆえに著名な発信者がほとんどおらず、数少ない濃すぎるファンが金がもらえないにも関わらず魅力を伝えたいという動機だけでマニアックな情報を収集することができます。
このような、惰性でも見れるうえにハマった時にも応えられるコンテンツがある。そのような両面性がカルチョの魅力なのです。
私は以前1度だけセリエ会に参加したことがあるのですが、全試合見るような勢いで試合を見まくっている人から、正直全く試合は見ていない人まで幅広い人が参加していました。
そのような人たちがカルチョを熱く語り合ったり、全くカルチョの話をしなかったり、多くの向き合い方ができるものだと感じました。
「サッカーは一番の趣味だけど、サッカー自体はそこまで好きではない。」
私自身、この事実はわりとショックでした。しかし、実はこのように思っている方も一定数いらっしゃると思います。正直、この事実に向き合うことは結構勇気のいることですが、受け入れるとすごい気が楽になりますし、カルチョを心から楽しめるようになると思います。
特に、謎にフォローしていただいている人数も多く、カルチョに詳しいと勘違いされることの多い私が言うからこそ意味があると思ったので今回このようなブログを書いてみました。
皆さんも自分なりのカルチョとの距離感を見つけて、ほどよく楽しみましょう!
※ちなみに今季は結構見てます。カルチョたのちい(適当)
こんな駄文を最後までご覧いただき、ありがとうございました!