こんにちは!カルロウです!
先日、ガスペリーニが退場したことを忘れており、久しぶりにブログを更新したのですが…
公開2日後のミラン戦で再び退場!
もはや嫌がらせとしか思えないですね…
ということで今回も仕方なく書いていきます。
今回のブログは日本でのカルチョ人気に関する記事になります。
カルチョに関してごく稀に情報を発信している私からするとかなり身近な話題ですね。私以外のカルチョファン的にもかなり身近な問題だと思います。ぜひご覧ください。
※今回のブログで頻繁に登場する「私たち」はカルチョファンを指しています。
※今回のブログは思想全開です。あくまで一意見としてご覧ください。
「目に入らない」カルチョ
昨今カルチョの人気低迷が囁かれて久しいですが、皆様いかがお過ごしでしょうか(唐突な煽り)。
現在海外サッカーを見ている人を探してみると、基本はプレミアリーグやスペインの2強のファンが大多数を占めます。
わかりやすいのがDAZNやSPOTVのYoutubeの日本語ハイライトの再生回数。
日本人選手が関係する試合を除くと、プレミアのビッグクラブやレアル・バルサの試合は10万回以上は再生されることも多いですが、北の3強は1~3万回程度。
中下位に関しては、プレミアリーグは3~5万回再生されることも多いですが、セリエ(とリーガの下位)は基本数千回程度しか再生数がありません。
このように数字で見るとかなり危機感を覚えますね。
「人気がなくたって俺らが好きならばそれでいいじゃない」と思ったそこのあなた。
それは確かに間違ってはないですが、この状況があまりに進むと私たちの視聴環境が年々脅かされてしまう可能性があります。
いまはまだ「開幕1週間前くらいにどこかがギリギリで放映権とるやろ」と余裕をぶっこいていますが、今後はどうなることかはわかりません。だって、数字がとれないコンテンツを放送する意味はないのですから。
しかし、セリエAに関する動画でも、数少ない再生回数を回せるテーマがあります。
それは「過去の栄光」と「落ちぶれた物語・現状」です。
そうです。一般の人々が現在のセリエAというコンテンツに求めているのはこの栄枯盛衰のストーリーなのです。
昔はすごかったが今は不甲斐ない。このような対象物はどの時代でも一定の人気を博し、語られます。人々は「物申す対象」が欲しいのです。カルチョはその対象としては引き合いにあまりにも出しやすく、それを目的としたコンテンツには一定の需要があります。
そのため、通常のサッカー企画では定番である調子の良いクラブの特徴、スター選手、スカッド紹介、期待の若手…といったものはそれほど求められてないのです(もちろん全く求められていないわけではないですが)。
現在我々がいくらカルチョの魅力を伝えようとカルチョの魅力を紹介しても、カルチョファンの中では広がりますが、外には広がらないのです。だって、他のサッカーファンはカルチョにそれを求めていないんですから。
つまらないと言われている映画を見るとつまらないと感じるように、「今は下火である」と思われているものをいくら魅力をアピールしたところで、響く人は少ないでしょう。
つまり、そもそも他のサッカーファンがカルチョに対して求めているものやイメージが変わらない限り、見られる対象からは自然と外されてしまうのです。
身に着けたもの取っ払って
いきなりのスキマスイッチ失礼します(常田さんはミラニスタとして有名です)。
まず元も子もないことを言ってしまいますが、現状ではカルチョ人気が復活することは不可能です。そもそもコンテンツとしての質(≠サッカーの質)が圧倒的に劣後しています。
どんなに我々が努力したところでセリエA自体が一般大衆の方から見て目を向けられるようなコンテンツにならない限り限界があります。これは前提としてはあります。
ではそれは一旦置いといて、今までカルチョが身に着けたイメージを取っ払うにはどうすればよいのでしょうか?
そうです、別のイメージで塗り替えるしかないのです。
理想は「落ちぶれた姿」からの復活といったストーリーで上塗りすることです。
ユベントス王朝の崩壊後、肌感覚ですが一番ファンが増えたのが2021-22のミランのスクデットです。
あの時はアイコンであるイブラヒモビッチを筆頭に、復活劇へのわかりやすいストーリーが人々を惹きつけました。Twitterにも多くの新規ファンがどんどん生まれたのを覚えています。
下火になったイメージが皆さんの中に強いからこそ、もし世界の中でも有数の競争力をピッチ内外で獲得した場合は他のリーグのそれとは比較にならないくらい人を惹きつけると思います。
しかし、こればかりは我々はどうすることもできません。
それでは、どこかが将来的にCL(かスーパーリーグ)を優勝し、スター選手を獲得していく未来になるのをひたすら待ち続けるしかないのでしょうか。
「ヒトカルチョ」の魅力
もちろんそうではありません。我々がストーリーの語り手として機能すれば良いのです。
今のカルチョを切り取って点ではなく線として紹介するという方法もありますが、あまり根本的な解決ではないので今回は別の視点から見ていきたいと思います。
ヒントは、カルチョを語っているにも関わらず再生数が好調なサッカーキングのカルチョ班の動画のコメント欄を見てみるとわかります。
他のリーグのコメント欄と比べてみてください。カルチョ班だけ圧倒的にサッカーの話題が少ないです。
コメントは「出演者の熱量や明るさへの言及」と、「視聴者の日々の生活の中でいかにこのコンテンツを楽しみにしているかの言及」が多くを占めます。
特に後者は、サッカー以外の内容に言及されていることがほとんどであり、これらがニーズとして一定数存在することがわかります。
つまり、「携わっている人の熱量とヒューマニティー」。これがカルチョの強みになり得るのです。
一つずつ見ていきましょう。
熱量というのは、カルチョを楽しそうに語っている姿そのものです。
ここで肝心なのは、人々が惹きつけられるのはカルチョではなく「私たち」になります。
サッカーキングのコメント欄でよくあるのが「セリエは見てないけどこの動画は見ちゃう」といった内容になります。
私たちからすれば「じゃあセリエ見ろよ」となりますが、こらえましょう。
人間は、誰かが好きなものを熱く語っている姿を見ると惹かれてしまうのです。そして、その対象はニッチなものであればあるほど効果を発揮します。
想像してみてください。熱心にハーランドを語る人と熱心にマルシッチを語る人がいたらどちらが気になりますか。
ハーランドとマルシッチ自体にはかなり人気に差があるにも関わらず、それと比較すると相当多くの票がマルシッチを語る人に集まるはずです。
そうです。なのでカルチョが見向きもされない今だからこそ、私たちが熱く語ることが強みになるのです。しかし、それが上手くいったところで関心が集まるのはカルチョではなくカルチョファンに対してです。
今回の例だと、マルシッチにも多少関心は注がれますが、マルシッチを語る人の方が注目を浴びます。
そこで、次のヒューマニティーが重要になるのです。
再びマルシッチを熱く語る人を想像してみて下さい。まず皆さんは思うはずです。「なぜ、この人はここまでマルシッチを好きになったのだろう」と。
カルチョを熱く語って興味を持ってもらったら、その人の人生とカルチョを紐づけるのです。
ヒューマニティーとは、人間味や人間らしさという意味です。
わかりやすい例を挙げれば、私たちとカルチョの出会いもヒューマニティーとなります。
いったいどんな人生を歩んだらこのご時世にカルチョファンになるんでしょうか(超失礼)
特にここは新規のファンだからこそ深みが出てくる分野であります。
昔からのファンはセリエAが世界最強リーグの頃に見始めた人が多いです。今で言うとプレミアを見始めたような人なので、出会いは自然でそれほど珍しいものではないです。
セリエAの専売特許である「昔話」ができなくても、自分のストーリーそのものが価値を持ってくるのです。
もちろん昔からのファンも語れることはたくさんあるでしょう。現実のライフステージと紐づけられたカルチョの体験談は人々を惹きつけているものがあるはずです。なんせセリエAが下火になってしまったにもかかわらず見続けている変態(尊敬)の方々なんですから。
カルチョのイメージを塗り替えるのが現状難しいのなら、カルチョをとりまく「人」のストーリーから惹きつけるのが遠回りなようで近道なのかもしれません。
コーナー付近で時間稼ぎ
改めて言いますが、これらのアプローチによって直接的にカルチョを見てくれるようになるわけではありません。あくまで間接的なアプローチです。そもそも人気が復活するにはセリエA自体が競争力をつけないとどうしようもないのです。
だからこそ、我々カルチョファンができるのは隅っこの方でカルチョを楽しそうに語り続けて復活までの間「場を持たせる」ことになるのです。いつの間にか、カルチョが最強のコンテンツに戻っていることでしょう。